2007年04月14日
親の期待
4月13日 記
なんかの雑誌で読んだのだが、子供の名前を見ると、親のコンプレックスがわかるそうだ。
美しい女に縁がなかった人は、子供に『美』という字を使いたがる。
受験競争で失敗した人なんかは、『秀』とかさ。
気の弱い人は『志』かな。もっとはっちゃけたかった人は、『広』とか『大』とか。
名前の全部が全部そうであるわけはないけれど、あたしは正直いってギクリとしたね。
当たってる……ような気がする。
あたしってば音痴だ。
だから、無意識に『歌』って文字を子供の名前に入れたのかもれない。
ほんとうは、ピンチになっても慌てない人間になって欲しくてその名前をつけたんだけど。
『佑』の字は、神様が助けてくれるって意味がある。神様が助けてくれるまで、歌でもうたって待ってろよ、みたいな。
それにしたって、自分が窮地に立たされるとみっともないほど慌てふためく人間だからだ。
ピンチになっても慌てない人間が最強! ってな思いがどっかにあって。
『吹歌』(神様が助けてくれるまで口笛でも吹いて待ってろよ、という意味)とどっちにするか悩みに悩んで、結局『佑歌』にしたんだっけ。
あたしは口笛も吹けないが、それはべつに大したことじゃないと思っているからね。どっちかっていうと、音痴のほうがコンプレックス。
それと、音楽を鑑賞するような家庭で育ってないことがコンプレックス。
やっぱさ、心のどっかで、子供には自分ができなかったことをやってもらいたいって気持ちがあるのかもしれない。
世の中に出て自分が負けてしまったことの敵討ちしてもらいたい、みたいな厭らしい気持ちが。
もちろん親と子供はべつの人間だし、そもそも自分の子供なんだから、親の苦手なことは苦手である可能性の方が高い。
だけど、子供の未知なる可能性をひたすら信じて。
根拠もへったくれもなく、馬鹿みたいに過信して。
親は子に、むちゃくちゃな期待をする。
自分のことはさて置き、むちゃな期待をかける。
ここだけの話、あたしは息子がボクサーで詩人になったらいいなぁ、なんて夢想することがある。
ボクサーで詩人。
カッコいいじゃん。あたしが思う、最高峰にカッコいい職業だ。
考えてみたら、あたしがそう夢想するのも無理はない。
詩人もボクサーも、圧倒的に才能が大切だもの。
あたしはいつも自分に自信がないからさ。
そういや以前は、息子のコンサートにいく夢をよく見ていた。
息子が政治家なんかより人々の心にダイレクトに平和などを訴えることのできる歌手になる、ってのも素敵な想像でしょ。
けど、息子は酷い音痴。
本人は歌うのがとても好きなだけに、悲しい。
こうしてあたしの夢想も、徐々に砕け散っていく。
あと数年もすれば、現実に押しつぶされて、夢想することもなくなる気がする。
そのときは、
「やっぱ、あたしの子だよなぁ」
そういって息子にベタベタすり寄ろう。
嫌がられても「我が子よ!」と大げさに叫んで飛びつこう。